Yinyang AMBASSADORS
一面に広がるのは、2メートルを超える背高ノッポのライ麦。昨年の6月は、この畑の近くで小麦の収穫をさせて頂きました。今年はライ麦、そして、大麦もたくさん育てているそうです。
おじゃましたのは、GW明けの風が強い日でした。
写真では見えにくいのですが、穂にはたくさんの花がぶら下がっていて、風に飛ばされて受粉するのを待っているようでした。
自分よりも背が高い植物に囲まれる感覚は、非日常的で、“ノスタルジック”という言葉がピッタリ。
植物を見上げるような体験をしたのであれば、きっとまだ小さかった頃でしょうから、この感覚に懐かしさを感じるのも納得できます。
一見ヒョロヒョロ伸びたライ麦の幹は、細くて華奢に見えるけど、風に揺られて左右にしなる姿は、しなやかで、とても力強いものです。
その力強さには、個としての「自立」と、他と同調する「全体性」の両面を感じました。
自然は、存在そのものが「真実」であり、「本物」であり、「その通り」で、圧倒的な肯定感を感じます。
そもそも偽物など存在しない、できない訳で、存在していること自体が「真実」なのです。
そして、何より感動的なことは、この植物が「食」であることです。しかも、価格の高騰で騒がれている食材で、且つ、無農薬であること。もちろん、管理は大変でしょうが、こんなに豊かに実ることを目の当たりにして、自分でも、無農薬でも、食物を育てることが出来るという希望を改めて持ちました。
お米もですが、麦も最高の保存食ですね。
ここ数年、「パンデミック」という都合の良い言葉で、真相をあやふやにされた事がたくさん起こりました。未だに納得できないこと(反対ではなく、理解不能なこと)も多々あるのですが、この事態は決して終わった訳でなく、正解・不正解を問いただせる訳でもなく、ましてや、我々の分断を招いている場合ではなく、むしろ、”真相は闇の中で知る術もないまま、民衆を煙に巻くような事柄は、今後もたくさん起こりますよ“ といった警告のように私には思えました。
何をしたら安心だなんてないのでしょうが、少なくとも「自分自身の選択を、自分の意思で出来ること」が、今後も大切なのだと思います。そして、個を確立しつつ、繋がりを持つ全体性の両面をバランス良く持ちたいものです。
潔く惜しむことなく咲く花に、可憐さや儚さを感じます。大胆でいて繊細な植物に、学ぶことは無限にあるようです。生活の中で、自然に触れる機会がたくさんあることに、心から感謝しています。
この美しい自然を、後世に引き継ぎたいです。
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